朱丹がとれる 翡翠がとれる その産地が邪馬台国か?

 邪馬台国チャンネルへようこそ。魏志倭人伝を読み進めて、25回目になります。

倭国の風俗習慣の記述に入っていますが、今回は、女王國から産出される鉱物に関する記述に入ります。この中で、「真珠」と呼ばれる赤色顔料や、「青玉」と呼ばれる翡翠が取れる旨の記述があります。これを以って邪馬台国の根拠にしようとするトンデモ説も存在していますが、倭人伝の風俗習慣がすべて邪馬台国のものだとするのは、お門違いです。魏志倭人伝は、あくまでも倭国に住んでいる倭人についての書物であって、邪馬台国を限定した「邪馬台国見聞録」ではありません。

 魏志倭人伝の中で、これまでに邪馬台国への行路から始まり、風俗習慣の記述へと読み進めてきました。

ここがほぼ半分進んだ事になります。

 行路の記述では、この図のような邪馬台国までの道程が明確に分かるように記載されていました。

そして、奴国と邪馬台国との間にある20ヶ国の旁國、これらをすべて含めた30あまりの国々が連合して「女王國」が成り立っており、その中の一つが邪馬台国であり、女王の都だと分かります。

 行路の記述では、九州島に上陸してからはずっと、90度のずれがありました。これは、魏の使者たちを欺く目的があったようです。

女王國に敵対していた狗奴国については、ここでは南に位置するとだけ書かれていましたので、90度ずれた東に位置する近畿地方を指しているようです。

 また、帯方郡から女王國までの距離が12000里という記述も正確でした。

 風俗習慣の記述では、魏の使者が見聞した様々な事象が記されています。北部九州・伊都国(現在の福岡県糸島市)で逗留していましたので、ほとんどが九州の風俗習慣でした。倭人の身なりだけでなく、絹織物を生産しているとか、鉄鏃などの武器を持っている、などという描写です。

 また、日本列島の気候風土とは全く合致しない記述もありました。それは、倭国はとても温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べていたり、みな裸足だという描写で、それらは中国南部の海南島と同じだとされています。

 行路の記述において90度のズレがありましたので、どうやら著者の陳寿が「倭国は南の島である」、という勝手な思い込みをしていたようですね?

海南島のイメージで倭人伝を書いてしまったのでしょう。

 さらには人々の生活についても描写もありました。父母・兄弟は別な場所で寝起きする、赤色顔料を体に塗っている、食事は器から出掴みで食べている、人が亡くなった際のお墓の形式、お葬式の風習など、かなり詳細な部分にまで及んでいました。また、海を航海するものの厳しい掟についての描写もありました。

 そして今回は、倭国で産出する鉱物についての記述になります。

「出眞珠・青玉、其山有丹」

「真珠、青玉を出す。その山には丹有り。」

 

 真珠とは、海で取れる宝石の真珠とは異なります。これは、丹と呼ばれる赤色顔料です。防腐剤や薬として使わる辰砂と呼ばれる硫化水銀や、ベンガラと呼ばれる二酸化鉄、鉛丹と呼ばれる四酸化三鉛などがありますが、ここではおそらく二酸化鉄・ベンガラを指していると思われます。

 北部九州から見つかっている弥生土器には、赤色顔料としてベンガラが塗られていることや、その産地が「阿蘇黄土」と呼ばれる二酸化鉄であり、阿蘇山のカルデラから産出されるものだからです。一方、硫化水銀や四酸化三鉛の産地は北部九州には存在していません。

 また魏氏倭人伝のこの記述の前には、「朱丹塗其身體」という記述があり、大量に赤色顔料が消費されていたようですので、やはり九州で生産される鉱物の可能性が高いでしょう。

 魏の使者たちが逗留していた場所が、伊都國(現在の福岡県糸島市)だった事を鑑みれば、「真珠」と記された鉱物の正体は、ベンガラだったと見るのが妥当ですね?

 

 なおベンガラとは異なる辰砂と呼ばれる硫化水銀は、日本海沿岸各地の弥生墳丘墓から多く見つかています。腐食剤の役割として遺体の周りに大量に撒かれているのです。仮にもし、魏の使者たちが邪馬台国・越前まで行っていたとすれば、「真珠」の正体は辰砂という事になりますね?

 四国地方や近畿地方でも、辰砂が生産されます。倭国に属していた国の一つだった事の証明になりますが、日本全国至る所で産出されるものですし、中国大陸にもありますので、あまりこだわる必要はありません。

 日本列島各地で生産された辰砂は、貢物として邪馬台国へ献上していたのではないでしょうか?

 倭国から産出する鉱物のもう一つは、「青玉」です。これは、翡翠、または碧玉と考えられます。翡翠については、日本列島では新潟県糸魚川だけで産出されるのは有名ですね?

なお、「青」という漢字は、日本では緑色も含んでいますが、中国でも同じです。英語のブルーを指す漢字は、中国語では「藍」の字を使います。さらに具体的に言えば、「青」という漢字の持つ意味は、「薄いブルー」「薄いグリーン」を指しています。

 北部九州の弥生遺跡からは、多くの翡翠の勾玉や碧玉の管玉が発見されています。これらの色は、薄いグリーンです。魏からやって来た使者たちは、それを見て「青玉」が産出すると記述したのではないでしょうか?

 なお、魏志倭人伝の後半部分で、卑弥呼の宗女・壹與が中国への朝貢品として「青大句珠二枚」とありますが、これも翡翠の勾玉だったとする説が有力です。中国では、翡翠軟玉と呼ばれる安物の翡翠しか産出されない為に、日本で産出される翡翠硬玉はとても価値があります。それゆえに朝貢品として、中国が喜ぶ翡翠硬玉の勾玉が選ばれたと推測します。

 ここで、翡翠について簡単に整理しておきます。翡翠硬玉と翡翠軟玉の二種類に分けられます。その名の通り、硬い翡翠と柔らかい翡翠で、見た目は同じ薄いグリーンなのですが、成分は全く違います。価値が高さから言うと、圧倒的に翡翠硬玉です。

中国では大量に翡翠が産出されるのですが、安物の翡翠軟玉だけしかありません。翡翠硬玉は産出されないのです。翡翠硬玉は、世界的に見ても東南アジアのミャンマーと日本の糸魚川だけに限られています。さらに日本では現在、勝手に採掘してはいけない法律も制定されていますので、希少性に拍車がかかり、お値段も青天井になっています。

 この翡翠硬玉が産出する糸魚川は、私が邪馬台国を主張している越前の国からずっと奥地に入った越後の国・新潟県です。諸国連合国家・女王國の財源として翡翠硬玉が掘り出され、勾玉に加工されて、北部九州や朝鮮半島、さらには中国へも輸出されていたのでしょう。

 さらに時代は下りますが、六世紀に近畿地方を征服した邪馬台国の大王・継体天皇や蘇我氏一族の財源にもなっていました。残念な事に、七世紀以降は、翡翠硬玉が一切採掘されなくなりました。それどころか、産出地が糸魚川である事すら闇に葬られてしまいました。この地に鉱脈がある事が再び分かったのは、昭和初期になってからです。

 このミステリーについては、以前の動画で推理していますので、ご参照下さい。

 倭国から産出する「真珠、青玉」については、赤色顔料と翡翠硬玉であるとする説が有力です。しかしこれらが産出するからと言って、そこが邪馬台国だという事にはなりません。倭国の一部だと言えるだけです。

 そもそも魏の使者たちは伊都國(現在の福岡県糸島市)に逗留して、そこで見聞きした内容を記したに過ぎません。それを三国志の著者・陳寿が取捨選択した上に、自分の妄想も付加しながら著わしたのが魏志倭人伝です。

 邪馬台国のヒントは、行路と戸数だけです。なかなか難しいものですね?

 いかがでしたか?

真珠については、日本だけで産出されるものではなくて、中国大陸にも普通にあります。魏志倭人伝の後半に、魏からの下賜品として、「真珠 鉛丹 各五十斤」という記述があり、中国製の赤色顔料を倭国へ持ち帰った事が分かります。実際に、出雲と越前の四隅突出型墳丘墓から見つかった朱丹は、中国陝西省産のものである事が科学分析によって確認されています。これを以って、日本海沿岸地域が女王國だった可能性は高まります。

 しかしながら、朱丹の出土だけから邪馬台国を比定するのは、いろんな面で無理がありますね?

邪馬台国チャンネル

翡翠は硬玉だけが高級品

 一般に翡翠というと、日本では緑色の硬い石、翡翠硬玉の事を指して、とても高級なイメージがありますね?

けれども中国では、柔らかい翡翠、翡翠軟玉の事を指すようで、安物の石です。いっぱい採掘される上に、加工も簡単なので、大量生産が出来るからのようです。中国旅行で大喜びで、お土産に翡翠を買って帰る人もおられるようですが、みんな安物の翡翠です。見分け方は簡単で、叩いてみたり削って見たりすれば良いだけですが、お土産屋さんでそんな事は出来ませんから、厄介です。見た目では全く区別が付きません。

 あと、日本国内でも翡翠軟玉の鉱脈がたくさんあって、「オラが村の邪馬台国」に利用する人を時々見かけますが、これも悲しいですね。