魏志倭人伝の誤訳 卑弥呼は共立されたは嘘

 邪馬台国チャンネルへようこそ。魏志倭人伝を読み進めて、30回目になります。

今回は、いよいよ卑弥呼が登場します。倭人伝の中でも、特に有名な記述ですので、邪馬台国の研究者は必ず引用しています。但し、短いフレーズながらも、誤った解釈をして、間違った卑弥呼像を描く研究者も少なくありません。

まずは、一般的な日本語訳をトレースしてみます。

 卑弥呼に関する記述に入る前に、魏志倭人伝の全体像を示します。内容は、大きく3つの章に分ける事ができます。

 最初は、諸国連合国家である女王國について。

次に、倭人の風俗習慣について。

最後に女王國の政治状況についてです。卑弥呼に関する記述は、この政治状況の中から登場します。

 では、これまでに読み進めた内容を要約します。

 まず邪馬台国までの行路では、この図のような明確な道程が示されていました。その間にある20ヶ国の旁國。これらをすべて含めた30あまりの国々が連合して「女王國」が成り立っており、その中の一つ、女王の都が邪馬台国です。

 行路の記述では、九州島に上陸してからはずっと、90度のずれがあります。これは、魏の使者たちが女王國に騙されたからです。倭国の海岸線の情報は最重要機密ですので、それを知られまいとした作戦が功を奏したようです。

 なお、女王國に敵対していた狗奴国については、南に位置するとだけしか書かれていませんので、90度ずれた東に位置する近畿地方を指しているようです。

 また、帯方郡から女王國までの距離が12000里という記述も正確でした。

  風俗習慣の記述では、魏の使者が見聞した様々な事象が記されています。

北部九州の伊都国(現在の福岡県糸島市)に逗留していましたので、ほとんどが九州の風俗習慣でした。倭人の身なり、絹織物の生産、鉄の鏃を使っている、などという描写です。

また、日本列島の気候風土とは全く合致しない記述もありました。それは、倭国はとても温暖で冬でも夏でも生野菜を食べている、みんな裸足だ、という描写で、それらは中国南部の海南島と同じだとされています。

 方角を90度騙された魏の使者の報告書から、どうやら著者の陳寿が「倭国は南の島である」、という勝手な思い込みをしていたようですね? 海南島のイメージで倭人伝を書いてしまったようです。

 自然環境の記述でも、広葉樹のみが存在していて南の島である事が強調されていましたので、その思考回路が明らかです。

さらに人々の生活については、父母兄弟は別な場所で寝起きする、赤色顔料を体に塗っている、食事は器から出掴みで食べている、人が亡くなった際のお墓の形式・お葬式の風習、食べ物には薬味を使っていない、猿やキジがいるのに食料にしていない、占いは骨卜、お酒を飲む習慣、一夫多妻制、規律正しい社会である事、などかなり詳細な部分にまで及んでいました。

 前回からの倭国の政治状況では、伊都國に関する記述からでした。

伊都國は、千余戸という小国ながらも、女王國の政治の中心地だった事が窺えます。一大率という検察官を置き、諸国が恐れ憚っていたという記述。出入国管理局や税関のような外国との窓口の役割り、などの記述があります。

また魏の使者たちは、この伊都國に留め置かれており、女王の都である邪馬台国までは行っていません。その為に、伊都國こそが女王國の政治の中心部だと誤解していたのかも知れませんね?

  今回、さらにその先を読み進めます。

下戸與大人相逢道路 逡巡入草 傳辭説事 或蹲或跪 兩手據地 為之恭敬 對應聲曰噫 比如然諾

「下戸は、大人と道路で相逢えば、逡巡して草に入る。辞を伝え、事を説くには、或いは蹲り、或いは跪いて、両手は地に據し、これを恭敬となす。対応の声は噫という。比して然諾(ぜんだく)の如し。」

 とあります。

伊都國の記述の後に、脈絡もなく突然、風俗習慣のような記述になってしまいましたね? 実際、以前の風俗習慣の記述でも似たような描写はありました。

 しかし今回は、政治的なやり取りに関するものだと思われます。要約すると、

「下層階級の者が道で貴人に出逢ったときは、後ずさりして草に入る。言葉を伝えたり、物事を説明する時には、しゃがんだり、跪いたりして、両手を地に付けうやうやしさを表現する。その返答の声は『アイ』という。中国で承知したことを表す然諾と同じようなものである。」となります。

 江戸時代の階級社会に見られるような、風景ですね? 下層階級がお殿様に直訴するかのように、地べたにひれ伏し、土下座して、意見を述べています。それに対して、上層階級の者は、「アイ」と返答した。とされています。

 「アイ」という返事は、現代の「ハイ」という返事の元になったものかも知れませんね?

 なお、以前の風俗習慣での描写では、下の者が上の者に挨拶する際には、柏手のように手を叩くだけで、お辞儀や土下座はしない、となっていました。今回の描写は、政治的な重要な場面では、下の者はやはり土下座して意見を述べなければならなかった、という事なのでしょう。

 この記述の後に、ようやく、いよいよ卑弥呼が登場します。

  其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年

  乃共立一女子為王 名日卑彌呼 事鬼道能惑衆 

  年已長大 無夫壻 有男弟佐治國

「その国、本はまた男子を以って王と為す。住みて七、八十年。倭国乱れ、相攻伐して年を歴る。すなわち、一女子を立て王と為す。名は卑弥呼という。鬼道につかえ、よく衆を惑わす。年、すでに長大にして、夫婿(フセイ)なし。男弟有りて国を治むるを佐く。」

 とあります。この下りは最も有名ですね? 現代語に要約すると。

女王国では、元々は男が王様だったものの、倭国は乱れて、長年に渡って攻撃しあっていました。そこで、一人の女性を王に立てました。名は卑弥呼といいます。鬼道の祀りを行って人々を上手に魅了しました。非常に高齢で、夫はいないけれども弟がいて、国を治めるのを助けています。」

 といったところでしょうか?

 内容を精査する前に、この中国語の文章の翻訳に大きな欠陥がある事を示しておきます。

 一般的な翻訳では、卑弥呼が王様になった事に関して、「共立した。」としています。つまり、諸国が共同して一人の女性を擁立した、とのニュアンスになっています。ほぼ100%の翻訳文ではそうなっています。しかしこれは誤訳です。卑弥呼は共立されたわけではありません。「立」です。自ら立って王様になったのです。

 

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 そもそも魏志倭人伝の原文には、句読点やスペースはありません。漢字が淡々と列挙されているだけです。翻訳に際しては、翻訳者の意図で句読点やスペースを設けて、解釈しています。今回のケースでは、「一女子」の前にスペースを設けて、「共立」したという翻訳がなされ、一般化しています。

 しかし共立という言葉は、和製熟語です。日本語の感覚で共立という翻訳をしてはなりません。また、現代中国語にも、共立という使い方はありません。もちろん魏志倭人伝が書かれた三世紀に存在していた可能性はありますが?

 魏志倭人伝の翻訳文の歴史を辿ってみると、江戸時代の邪馬台国研究の先駆者・新井白石が中国語通訳に依頼した翻訳文に行きつきます。それが今でも一般化しており、疑いなく受け入れているのが現状です。

 では、どう翻訳するのが正しいのでしょうか?

それは、「立一女子」の前にスペースを設ける事です。すると、「乃共」、「立一女子」。となります。

「乃共」とは、前の文章を引き継いだ接続詞程度の意味です。

これを翻訳すると、「すなわち、一女子が立ち王となる。名は卑弥呼という。」という程度の意味になります。

 つまり卑弥呼は、共立されたのではなく、自ら立ったのです。

 これには異論もあるでしょうが、根拠としてはもう一つあります。それは、卑弥呼亡き後、宗女・壹與が王様になった下りです。

「復立卑彌呼宗女壹與年十三為王」

「また、卑弥呼宗女・壹與が立つ。年は13歳なり」

壹與は、共立されたとは書かれていません。「立」だけです。壹與はまだ13歳でしたので、彼女こそ話し合いで「共立された」、と見るのが自然ですが、「立」しか書かれていないのです。

 これを見ても、卑弥呼が女王になった経緯を、日本語の感覚で「共立された」とするには無理があるでしょう。

 いかがでしたか?

今回、ようやく卑弥呼の描写に入りましたが、いきなり本筋から脱線してしまいましたね? 

魏志倭人伝を日本語に訳した文章には、かなりの誤訳が含まれているように感じます。一つ一つ取り上げて行けばキリがありません。多少の誤訳は我慢すべきでしょう。しかし、卑弥呼が女王になった経緯はとても重要ですので、ちょっと拘ってみました。次回からは本筋に戻って、魏志倭人伝の内容を掘り下げてみます。

邪馬台国チャンネル

新井白石があってこその邪馬台国論争

 邪馬台国を「学問」として昇華させたのは新井白石ですが、立派ですよね? 新井白石以前には、卑弥呼は神功皇后であるという認識だけ、だったようで、議論の余地も無かったみたいですね? もちろん、江戸時代よりも前の時代には人々の生活に余裕がなくて、こんな事をいちいち研究している暇も無かったのでしょうけれども?

 現代の邪馬台国論争は、基本的には新井白石が敷いたレールの上で騒いでいるだけです。彼がいなければ、おそらく九州説がどうの、畿内説がどうの、なんて楽しみは、得られなかったでしょう。

 しかし、新井白石は御用学者でした。邪馬壹国と書かれていたのに邪馬台国と翻訳したのを始めとして、色々と問題のある恣意的解釈も目立ちます。

 魏志倭人伝を読み進める上では、新井白石だからと言って妄信せずに、疑って掛からなければなりませんよね?