古代人は食料を求めて民族移動

 こんにちは、八俣遠呂智です。

古代の人々の長距離移動は、どのように行われていたと思いますか? 陸地は獣道しかなく、海を渡ろうにも丸木舟に毛が生えた程度の準構造船しか無かった時代です。旅の途中には、獰猛な野生動物に遭遇する事も頻繁に起こったでしょうし、山賊や海賊といったならず者も多く存在していた事でしょう。さらには、通貨経済が発達していない時代でしたので、道中の食料調達はどうしていたのか? 様々な疑問が湧いてきます。

 今回から十数回に分けて、古代の長距離移動について考察して行きます。

 縄文時代までの人々の長距離移動は、食料調達が目的です。野生動物が餌を求めて移動するのと同じで、食べ物の豊富な場所へと人々は移動します。人間も動物ですから、当たり前ですよね? 日本人のご先祖さまである縄文人や、その前の旧石器時代や原始時代には、狩猟の獲物で空腹を満たしていましたので、獲物を求めて広域的に移動していたのは分かりやすい事例です。

 これに限らず、弥生時代という水田稲作が始まった定住型の時代でさえも、人の長距離移動は基本的には食料調達が目的です。農業生産の高い、食料が豊富な場所へと人々の移動は起こります。

 古代の人々の移動を考えると、どうしても現代と同じような商業活動に目を奪われがちです。けれども、弥生時代の商業活動なんかはほんの一部に過ぎません。基本は農業です。

 弥生時代の様子を洞察する上で最も重要なのは、食料調達であって、商業活動ではありません。

食料事情については、これまで何度も指摘しました通り、日本列島では稲作文化が広がった事によって、「クニ」という集合体が発生しました。その中でも広大な水田適地は食料が豊富で人口扶養力がありましたので、自然増のほかにも、周辺地域からの流入という社会増もあり、爆発的な人口増加が起こりました。

 周辺地域からの流入という人口の社会増は、まさに食料を求めて人々が移動していた姿です。これは現代でも言える事で、首都圏に人口が集中しているのは仕事があるからこそ、とどのつまり、「食っていけるから」という事ですよね?

 古代においては、まずは食料が重要であって、それを求めて人々が集まる。そして余力ができた段階で、少しずつ他の国との交易が始まる、というステップになります。

 一方で、大きな気候変動が起これば、農業生産が激減して、人々は飢え死にしてしまいます。それを回避するために、気候変動の影響が少なかったほかの豊かな土地への移動が起こります。

するとそこで争いが起こります。これも当たり前ですよね? 平和で豊かな土地に、ある日突然他の地域から人々が押し寄せてくれば、食料の奪い合いになって戦争になるのは必然です。

 そして、戦いに敗れ去った民族は、そのまま滅亡してしまうか、新たな土地を探して流浪の民となるか。

この大規模なものが、民族大移動と呼ばれるものですね?

いずれにしても、食べ物を求めて長距離移動して新たな土地を手に入れる。一方、敗れ去って追い出された人々もまた食べ物が必要ですので、別の土地を手に入れようと侵略する。椅子取りゲームみたいですね?

 古代の社会では、このような原始的な生存競争がきっかけになって長距離移動が起こった事は容易に想像がつきます。

 古代のヨーロッパでは、民族大移動が頻繁に起こっていたのは有名ですよね?

そして、壮絶な殺戮の歴史があります。

その結果として、現在の土地に住んでいる民族が、古代からずっとその地に住んでいたわけではない、という状況になった訳です。

 例えば、現在のエジプトに住んでいるエジプト人は、ピラミッドを作った時代の民族とは異なる人種ですし、ソクラテスやプラトンがいた古代ギリシャ人も、現代のギリシャ人とは異なります。

 古代ローマ帝国の末裔も、現在のイタリア人とは異なると言われています。それから、現代のドイツという国に住んでいるゲルマン民族は、元々は東の方にいた人種であって、四世紀から八世紀頃に大移動して来て占領しました。ユダヤ人は2000年前にパレスチナに住んでいたましたが、土地を奪われて世界中に分散して行った。などという話は歴史の授業でも習いますので、有名ですよね? もちろんそれらが真実かどうかは分かりませんが、少なくとも食料事情によって戦いが起こり、民族の大移動が発生した事は間違いないでしょう。

 中国大陸でも同じような状況でした。歴史の授業で教えていないのであまり知られていないだけです。

例えば、黄河文明や長江文明を起こした人々は、現在の黄河や長江流域に住んでいる民族とは異なりますし、三国志時代の民族分布でさえも、現代の民族分布とは異なります。

 つまり、魏の都・洛陽に住んでいた人々は、現代の洛陽に住んでいる民族とは異なります。言語も違います。魏志倭人伝を読み解く上では、その当時にどの民族が洛陽に住んでおり、どんな言語が使われていたか という事がとても重要なのですが、はっきりとした事は分かっていません。

 主流になっている説では、その当時は客家人という民族が住んでおり、客家語が使われていた可能性がある、とされています。客家人とは中国のユダヤ人とも呼ばれている民族で、古代に居住地を追われてチリジリバラバラになった人々です。それでも千年以上も独自の民族性を失わずに、現在は中国中南部や台湾などに、点在しています。また、世界中に散らばった華僑の半数近くがこの民族です。

 ユダヤ人と同じような境遇で、現代でも有能な人材が輩出されているとされています。元々古代の中心地にいた民族だった可能性は、大いにありますね?

 なお、中国人は「漢民族」という単一民族・単一言語だと誤解していらっしゃる方が結構多いようですが、全く違います。

漢民族という呼び方は、ヨーロッパで例えるならば「ヨーロッパ民族」と言っているようなものです。ヨーロッパにはイングランド人、ドイツ人、フランス人など多種多様な民族と言語がありますよね? それと同じように漢民族の中にも様々な人種がいて、様々な言語が使われています。客家人もその中の一つの民族で、客家語を使っています。

 現代の中国の標準語は、北京周辺地域で使われている北京語ですが、三国志・魏志倭人伝の時代の標準語ではありません。中国の古代史のややこしさは、日本の古代史の比ではありませんね?

 日本列島では、幸いにもヨーロッパや中国のような大規模な民族移動は起こりませんでした。せいぜい、縄文人が吸収されて消滅したくらいです。弥生人が増殖しすぎた為です。そのおかげで古代史は比較的シンプルです。弥生時代よりも後に日本列島に住んでいる人種は、弥生人も現代人も、ほぼ同じDNAを持った日本人ですし、同じ日本語が使われているからです。そして、争いを好まない、とても穏やかで、平和な国家になったのです。日本人って、世界的に見ても極めて稀な民族なんですよね?

日本人が「神様から選ばれた民族だ」と言えるのは、そういう事なのでしょう。

 話を元に戻します。

これらのように、狩猟採取の食料調達から、農業による食料調達へと進化した古代社会においても、民族レベルの大規模な長距離移動は起こっていました。また、邪馬台国の時代に倭国から中国・魏の国へ朝貢したり、魏の国から使者が倭国へやって来たりと、ある程度の規模の長距離移動もありました。もちろん、交易という商業活動による長距離移動もあったでしょうが、古代に於いてはまだまだほんの僅か・微々たるものでした。

 では、弥生時代の長距離移動は、どのように行われたのでしょうか? 規模の大小に関わらず、さまざまな疑問が湧いてきます。

陸地は獣道しかなく、海を渡ろうにも丸木舟に毛が生えた程度の準構造船しか無かった時代。通貨経済が発達しておらず、道中の食料調達はどうしていたのでしょうか? 現実に照らし合わせてみると、「中国へ朝貢しました」、「魏の使者がやって来ました」、などと簡単に片づける訳には行きません。

 今後十数回に分けて、古代人がどのように長距離移動したのかについて考察して行きます。

 いかがでしたか?

一般的な古代史研究家は文献解釈しか出来ない人達です。そのため、古文書に人々の移動があったと記されていれば、そっくりそのまま信用してしまうようです。具体的な移動手段の技術レベル、食料調達の手段などは一切考慮していません。しかし古代史を考察する上で重要なのは、そういった具体的な状況の解明です。現代とは全く異なる古代の具体的な様子が描けなければ、古文書に書かれている内容は空絵事でしかないのです。実際、初代天皇による神武東征や、第十代・崇神天皇の四道将軍の派遣などは、具体性を伴わないファンタジーでしかありませんよね?

 弥生時代の長距離移動について考察した人はほとんどいないですね。というか全く見当たりません。せいぜい長江流域から日本列島へ稲作文化を持って大挙してやって来たとか、徐福伝説をもっともらしく解説したりとか、騎馬民族が日本列島を征服したとか、あるいは九州にあった邪馬台国に近畿地方に移動して来たとか。酷いのになると、ユダヤ人が大挙して四国地方にやって来た、なんていう支離滅裂な事を言う人もいます。これらは「長距離移動があった」、という妄想だけで、具体的にどういう交通手段で、その道中になにを食料にしていたのか、という根本的な事には全く触れていません。楽しい楽しいお伽話の世界でしかありません。ですので、誰も本気でそんな話は信じないのです。

 古代の長距離移動は、現代人が想像する以上に極端な困難を伴っていた事は間違いありません。どんな状況だったのか? これから一緒に想像して行きましょう。

弥生時代の長距離移動は、想像以上に難しい。

 弥生時代の長距離移動について考察した人はほとんどいないですね。というか全く見当たりません。せいぜい長江流域から日本列島へ稲作文化を持って大挙してやって来たとか、徐福伝説をもっともらしく解説したりとか、騎馬民族が日本列島を征服したとか、あるいは九州にあった邪馬台国に近畿地方に移動して来たとか。酷いのになると、ユダヤ人が大挙して四国地方にやって来た、なんていう支離滅裂な事を言う人もいます。これらは「長距離移動があった」、という妄想だけで、具体的にどういう交通手段で、その道中になにを食料にしていたのか、という根本的な事には全く触れていません。楽しい楽しいお伽話の世界でしかありません。ですので、誰も本気でそんな話は信じないのです。

 古代の長距離移動は、現代人が想像する以上に極端な困難を伴っていた事は間違いありません。どんな状況だったのか? これから一緒に想像して行きましょう。